平成8年1月30日

衛生環境部長 様

御嵩町長 柳川 喜郎

御嵩産業廃棄物処理場計画への
疑問と懸念

 一般廃棄物、産業廃棄物をとわず、その処理場が必要であることは、論をまたない。だが、廃棄物処理のあり方については、多くの問題点があり、全国各地で紛争等をひきおこしているが、当御嵩町も例外ではない。
 産業廃棄物処理場の立地に、地元が拒否反応を示すことに対し、「地域エゴだ」「お前たちもごみを出しているではないか」との反論がある。
 しかし、特に御嵩町の場合、数百万人分、あるいは数千万人分の産業廃棄物が人口2万人の町、しかも、水源地に隣接した地域におしつけられようとしていることについて、多くの住民が、危惧し、反発しているのである。従って、この問題を考え、対応するに当って、極めて慎重にならざるをえない。


【立地について】

1、

 巨大な産廃処理場の立地が、なぜ御嵩町小和沢地区なのか、素朴な疑問である。どこでも、誰にとっても、いわゆる“迷惑施設”である産廃処理場の立地計画にあたっては、県など公的機関が、広い範囲にわたって、科学的・社会的・経済的など、さまざまな側面から客観的な調査をおこない、立地の決定にあたれば、それなりの合理性・説得力をもつであろう。
 だが、これまでの御嵩町小和沢地区の産廃処理場計画の経緯を見るかぎり、そうした形跡は見られない。利益追究が不可欠の業者が巨大な産廃処理場の立地を計画し、周到な準備をして、それを県が追認し、事業堆進にあたっているのではないだろうか。

2、

 御嵩町は戦中から戦後にかけて、「亜炭の町」であった。全国の亜炭産出量の38%を生産し、町の経済は活況を呈した。御嵩産の亜炭は、岐阜・愛知両県を中心に中部地方一帯に搬出され、窯業・繊維産業などの産業振興に大きく寄与した。
 しかし、御嵩町の亜炭産業は昭和三十年代のエネルギー革命を契機に、急速に衰退の途をたどった。いま、御嵩町に残されているのは、全町面積の10%、674ヘクタールにひろがる廃鉱の跡だけである。
 廃鉱跡は、しばしば落盤し、その都度、家屋や土地に大きな被害をもたらしている。「落盤の町」といわれるゆえんである。住民の不安は根強い。
 廃鉱跡に大きな建造物をつくることは危険で、建てる場合には、地盤安定対策として、多大な経費を強いられるハンディキャップを御嵩町はかかえているのである。住宅開発、工場誘致にあたっても、「落盤の町」のイメージは、決してプラスには働かない。特に、阪神・淡路大震災以来、廃鉱地域に開発された住宅団地の住民の間では、地震発生時に落盤が同時多発するのではないかと、不安が高まっている。
 たしかに、御嵩町は半世紀前の亜炭景気で、経済的には潤おったのは事実である。だが、いまに残された「負の遺産」は余りにも大きいと、いわざるをえない。見た目では分からないが、地下に潜在する古傷で、御嵩町は“傷だらけの町”といってもよい。
 半世紀前の亜炭採掘は、産業振興という名のいわば“国策”によって、進められた側面もある。いまでは見向きもされない亜炭だが、当時は貴重なエネルギー源として活用するため、乱掘がおこなわれたともいえる。それから半世紀、いま、ふたたび御嵩町は、産廃処理場の建設計画に当面している。ふたたび産業振興の名のもとにである。
 たしかに、産廃処理場受け入れにともない県や業者による見返り措置によって、御嵩町は当面、かなり潤おうかも知れない。産業の振興にも、ふたたび貢献できるかも知れない。だが、半世紀後を考えると、亜炭と産廃は二重写しになって仕方がない。廃鉱の町、廃棄物の町として、御嵩町のダブル・イメージ・ダウンになりかねない。杞憂なのだろうか。
 かつて、御嵩町で亜炭採掘業を経営した業者が、いま、御嵩町の産廃処理場の経営にあたろうとしているのも、皮肉なことではある。
 いま、沖縄プロブレムが大きな政治問題になっている。半世紀前に戦場として、深く傷ついた沖縄が、いまだに安全保障という国策の名のもとにおかれた米軍基地という“迷惑施設”の存在に苦悩しているためである。御嵩町がおかれた境遇と共通点はないだろうか。
 なお、現在、廃鉱の落盤による被害は、鉱害復旧事業団によって救済されているが、鉱害復旧事業団は平成12年に解散し、その後は県単位の指定法人の基金によって、鉱害発生時の対応にあたることになっている。
 しかし、指定法人設立に向けての県の対応は遅々として進んでいない。御嵩町に今も重くのしかかる「負の遺産」には目を閉じ、新たな“迷惑施設”を造ることは、どうにも納得できない。御嵩町に永久に残るであろう廃鉱の対策を強く要望しておきたい。


【安全性について】

1、

 最も懸念されるのは、御嵩町小和沢地区の産廃処理場建設予定地の地理的条件、地形的条件が、木曽川に隣接し、しかも急傾斜で、万一、事故が発生した際、水源汚染の可能性が高いことである。
 昭和63年頃、可茂衛生施設利用組合は当該地域の隣接地域に廃棄物処分場の立地を計画をしたことがあるが、「用地の30%以上が急傾斜地」、「用地の50%が開発不能」、「国定公園地域で不適」との理由で、立地を断念した経緯がある。
 下流地域では、約500万人が上水道に利用しており、水源が汚染された場合の影響は、甚大かつ深刻なことになるだろう。
 しかも、計画されている処理場は巨大であるだけに、いったん事故が発生すれば、回復は極めて困難であることは容易に想像できる。農業用水、漁業への影響も無視できない。
 下流地域では、御嵩町における産廃処理場建設計画に重大な関心を寄せているようである。現地視察、事実関係の聴取に訪れたのは、名古屋弁護士会公害対策環境保全委員会、自由民主党名古屋市会議員団、犬山市会議員、日本共産党犬山市会議員団、木曽川町、大口町、愛知中部水道企業団などである。このほか、産廃処理場建設に反対を表明、あるいは、反対申し入れの団体も少なくない。
 御嵩町の上水道の水源は飛騨川に依存しており、産廃処理場の影響はないが、下流プロブレムだからといって、水源への影響を無視することは、無責任のそしりを免れえないであろう。
 法制度上は、下流域自治体との協議の義務はないし、特に他県自治体との協議については、御嵩町はその立場にないと解されるが、県としては、下流地域協議の必要はないのだろうか。
 御嵩町隣接市町については、一部で協議の要望がでているので、事実関係の説明と協議について、現在、検討中である。
 御嵩町の産廃処理場問題は、御嵩町プロパーの問題であると同時に、限りなく下流の問題でもある。町内には「産廃処理場受け人れは企業誘致のようなもの」と、メリットを強調する意見もあるが、下流の問題として把えた場合、「御嵩町さえ良ければ」の“逆地域エゴ”とも受け取られかねない。余分な懸念だろうか。

2、

 平成5年4月に改正された「岐阜県産業廃棄物の適正処理に関する指導要綱」(以下、指導要綱)は、産廃処理施設の設置にあたって、市町村長との協議規定を新設したが、その理由として、「その地域を代表する市町村長は、当該市町村の将来構想、総合計画等を勘案した総合判断をする必要があるから」としている。
 最近、岐阜県は県議会、県内経済団体、自治体とともに、首都移転構想の誘致先として、東濃地域を選定し、積極的に誘致運動を進めようとしている。
 まことに適切な動きで、高く評価できるところであって、御嵩町の将来構想としても、是非その一角に参加することを熱望している。
 また、御嵩町に隣接する瑞浪市、土岐市など、東濃西部地域で進められている東濃研究学園都市構想も魅力ある計画で、御嵩町の将来構想として、なんらかの形で計画への参加を希望しているところである。
 首都移転の誘致にしても、研究学園都市構想にしても、そうした地域に、“東洋一”の産廃処理場は似つかわしいものなのだろうか。
 原発立地反対論者のなかに「原発の安全性を強調するなら、東京都心部に原発を建設せよ」という極論があるが、それが常識的とは思えないように、首都の諸官衙、あるいは高レベルの研究機関が立ちならぶ地域には、巨大産廃処理場はそぐわないのではなかろうか。


【事業主体について】

1、

 岐阜県産業廃棄物問題懇話会がまとめた「岐阜県における産業廃棄物対策の基本的課題と公共関与の在り方」(以下、提言)にも述べられているように、産業廃棄物の処理にあたっては、処理業者の資質に対する不安感が、とかく問題点となる。御嵩町の場合も例外ではない。
 現在、岐阜地域において、廃棄物処理をめぐる恐喝事件の公判が進行中であるが、恐喝事件の舞台となった「濃飛環境保全センター」、被告の経営する「マルゼンハウス」の役員に、寿和工業の役員が名を連ねていた事実がある。
 寿和工業側は、「勝手に名を使われていた」、「名前を貸していただけ」というが、いわば闇の世界との関係をうかがわせることは否定できない。また、寿和工業会長自らが暴力団と認めるグループとの間で、御嵩産廃処理場従業員の雇用契約を結んでいる。いずれも処理業者としての資質の信頼性を損なうことではないだろうか。
 寿和工業の経営者が、かって御嵩町で炭鉱を経営していたことは前述した通りだが、当時の経営手法や言動についての住民の評判は芳しいものとはいえない。特に年配の住民の間では「安全な産廃処理場だといわれても、にわかに信じることはできない」という声が根強い。
 寿和工業が濃厚な地元対策をしてきたことが、かえって住民の懸念やヒンシュクを招いている向きもある。多額の会費を支払って周辺地域の自治会に入会したり、折りにふれての酒食の提供から観音像、コマイヌの寄進に至るまで異常ともいえる地元対策についてである。
 「御嵩町全体が物心ともに寿和工業に買われてしまうのではないか」というブラック・ユーモアともつかぬ声、「土地は売ってもいいかも知れないが、心は売りたくない」という反発の声が住民の間にあることは事実である。信頼性回復の方途は、あるのだろうか。
 産廃処理のような事業では、事業主体の信頼性は重要な要件である。「提言」では、事業への公共関与の必要性を説き、「排出業者や処理業者だけに依存していては進展は必ずしも期待できない状況にある」、特に「管理型処分場は、適正管理に高度の技術を要し、かつ、埋立て終了後も長期間管理が必要なことなどから、公共関与事業として、設置することが適当であると考えられる」としている。
 公共関与、あるいは第三セクター方式が万能とは考えられないが、事業主体の信頼性を高めるためには、一つの策かも知れない。

2、

 現在の御嵩産廃処理場計画では、将来、事業の独占の弊害がでてくることも懸念される。廃棄物の受け入れなどについて、業者の恣意によって不都合な事態になる可能性があることは、かって県で廃棄物行政を担当した人の指摘でもある。


【経緯、手続きについて】

1、

 御嵩産廃処理場建設計画の経緯や手続きについて、いくつかの疑問点ある。記録によると、御嵩町当局は平成3年8月23日、寿和工業から小和沢地区の産廃処理場建設計画について説明をうけ、同年10月22日、寿和工業から町に対し国土法に基づいて「資産保有」を目的とする土地売買届出書が提出され、10月30日、届出書は県に進達されている。
 経緯からみて、土地売買の目的は当初から産廃処理場建設にあったことは明らかだが、なぜ、「資産保有」目的の届出が受理され、進達されたのか、そして県に受理されたのか。

2、

 また、届出書提出以前に締結された寿和工業と小和沢地区住民との覚書によって、巨額の立ち退き移転補償費の支払いが約定された。こうした行為は、地価抑制を目的とした国土法の趣旨に反するのではないだろうか。
 さらに、平成3年12月7日、寿和工業は町に対し、「土地代、移転補償費40億円以上支払っている」との上申書を提出したが、町と県の事情聴取、県の指導を経て、後に「土地代ではない」と訂正されている。このあたりの経緯は極めて不透明である。

3、

 産廃処理場設置のような案件は、事柄の性質上、慎重な手続きを踏むべきなのだが、県は指導要綱第16条に規定された手続きの原則から離れて、異例といえる並行審査を実施した。その性急さと拙速さには、疑問をもたざるをえない。

4、

 御嵩町は、小和沢地区の産廃処理場計画が浮上して以来、3年半の間、当該施設は「不適切な施設である」と主張しつづけてきた。その理由は、平成4年10月30日、御嵩町長から岐阜県知事に提出された意見書にもあるように、下流の上水道の水質汚染の可能性があること、周辺地域の環境衛生への影響、搬入車の交通公害のおそれがあること、国定公園に隣接していて環境保全上好ましくないこと、山林として保護すべき」地域であること、であった。
 ところが、平成7年2月7日にいたって、「不適」はすべて「適」と180度変更され、「諸般の事情を勘案し、処理場建設事業については止むを得ないものと考える」とする総合意見が、御嵩町長から岐阜県知事に提出された。
 御嵩町の意見を全面的に転換させた「諸般の事情」とは、どういうことなのか、貝体的な説明はおこなわれていない。理解に苦しむところである。

5、

 御嵩町は方針転換のあと、それこそ矢継ぎ早に業者からの各種の申請を受埋し、それを次々と県に進達している。(例-自然公園許可申請3月30日受理→4月12日進達、林地開発申請3月30日→4月19日、都計法開発申請4月5日→4月21日、土地開発協議申請4月13日→4月25日)
 御嵩町が方針転換をした平成7年2月7日前後は、当時の町長が平成7年4月23日に予定されていた町長選挙への立候捕を断念した時期である。
 民主政治のルールからいえば、大規模産廃処理場の建設の是非というような御嵩町の将来、住民の生活にとって重大な問題についての判断は、直近に迫った町長選挙で選ばれる新首長に委ねるのが、筋ではないだろうか。まさに駆け込みというほかはない申請手続きラッシュには、大いなる疑問が残る。なかでも、土地開発協議申し出の如きは、町長選挙で新町長が選ばれた2日後に町から県に進達されている。
 行政のルールからいっても、社会通念、政冶的道義からみても、理解できないことであり、申し出を受理した県の態度も理解に苦しむところである。

6、

 県は「法律に則っていれば、許可せざるをえない」というが、かりに基準に則っていても、環境汚染、生命身体の危険がないとはいいきれない。行政は環境保全の義務があり(自然環境保全法など)、住民の生命身体を保護しなければならない(地方自治法)のである。


【事業計画について】

1、

 産廃処理場の事業計画についても、不分明の点が多い。御嵩処理場に搬入される予定の産業廃棄物が、どのような範囲からのものになるか、はっきりしていない。
 地元住民の拒否反応の理由の一つに、地域外からの廃棄物搬入に対する不快感があることは事実である。県も“自己完結”の原則を打ち出しているが、このあたりの証明が不明確である。搬入ルート、搬入車輌数も明確ではない。ルートや車輌数によっては、交通公害の発生の可能性が高く、住民の同意のとりつけは、極めて困難となる。

2、

 事業費についても、不透明さが多い。寿和工業によると、「総事業費は100億円、すでに30億円〜40億円を支出している」とも「すでに50億円使った」ともいわれる。御嵩町と寿和工業の協定書によると、事業開始と進行にともない、総額35億円が町側に支払われることになっている。となると、総事業費の残りの35億円〜15億円で、処理場の開発、中間処埋施設、水処理施設などの建設をまかなわなければならない。果して可能なのだろうか。


【環境保全について】

1、

 最大の疑問、懸念は、環境汚染についてである。
 「処理場はきびしい基準に対応することになっている」といわれ、“完璧”ともいう。
 最新の科学技術を駆使した原発でも、とても“完璧”は期待できないことは、最近の事例でも明らかで、“完璧”といわれると、とたんに眉に唾をつけたくなるのは悲しいさがだろうか。むしろフェイル・セーフを説くことの方が、はるかに説得力があろうというものである。

2、

 例えば、遮水シートの信頼性である。完全であるはずの遮水シートが、実は不完全で、各地で水源汚染、地下水汚染、土壌汚染の事故をおこしていることは周知のことである。“半永久的”ともいう遮水シートが、実際には脆弱であることも、知られた事実である。遮水シートの安全性は科学的に立証されているわけではない。
 だからこそ、遮水シートをふくむ現在の工法に問題ありとして、厚生省の「最終処分場遮水工法等に関する検討会」、環境庁の「最終処分場の地下水汚染防止対策の高度化検討会」が検討を重ねているのである。従って、現在の遮水工法は発展途上の技術であって、とても“完璧”とはいえない代物であるといえるが、どうなのだろうか。

3、

 処理場から排出される水は、すべて処理されるというが、台風や大雨の際には、処理しきれない水がそのまま排出されていることは、処理場で働く人々の証言などからも明らかのようである。

4、

 災害時の対応にも懸念がある。小和沢地区の直下には活断層はないとされているが、活断層があるかどうかは分からないといった方が正確である。
 岐阜県は全県的にみて活断層が多い県で、東濃地方には巨大地震発生の可能性を秘めた名だたる活断層が存在し、激烈な地震動も考えておかなくてはならない。
 小和沢地区の地形からみて、激しい地震動の際には、処理場で大規模な地滑り現象がおきる可能性も否定できない。地震発生時だけでなく、豪雨の際にも、地盤災害発生の恐れがあり、こうした災害が発生すれば、直近の木曽川との関係で、大規模なカタストロフィを招く恐れがある。

5、

 処理場埋め立てが進行中の事故もさることながら、埋め立て終了、処理場閉鎖後の維持管理にも、大いなる懸念をもたざるをえない。
 廃棄物は埋め立て終了後も永久に残る。一方、処理業者は処理場閉鎖後、収入の途はなくなる。
 アフター・ケアについて、寿和工業は「通常は5〜6年だが、われわれは7年間やる」といっているが、では、その後は、どこが、どのように汚水処理施設の維持管理などにあたるのか。
 有名なアメリカのラブカナル事件では、埋め立て終了後、20年たって、周辺住民の間で流産、先天性異常、内臓腫瘍など深刻な影響が発生している。
 埋め立て終了後、地盤の不等沈下による設備の破壊、集中豪雨による廃棄物の流失、曝気槽の破壊による汚水の漏出、浸出水の金属濃度上昇、ガス処理施設の故障による火災の発生等の事例もある。 また、処理場跡地の利用についても、問題点がある。跡地をどのように利用するかは、所有者の自由である。現行法制度のもとでは、野放しの状態といってよい。跡地利用をめぐって、しばしば問題がおきており、岐阜県も例外ではない。

6、

 搬入される廃棄物をチェックする体制についても懸念がある。規定された以外の廃棄物が日常的に搬入されているのは、少なくとも他の処理場では否定できない。
 マニフェスト・システムは欧米でも採用されているが、それほど効果はあがっていないという。企業や処理業者が正直に記載するとは限らないからである。
 廃棄物の溶出試験も、室内試験と実際の場合とでは条件が異なるため、信頼性に疑問がある。

7、

 一般に岐阜県の指導要綱は法律よりきびしく、安全性は高いといわれているが、規定の内容とそれが実際に守られるかどうかは別の次元に属することで、しかも、指導要綱は一種のガイドラインにすぎず、罰則、強制力はない。かりに、指導要綱に違反しても、勧告、公表があるだけである。指導要綱が万能とは決して思えない。

8、

 監視体制の対応が不十分であることも、気にかかるところである。排水の水質監視などは、常時、客観的な信頼できる第三者機関があたるべきで、市町村職員や住民の立ち人り権限を認めてこそ、信頼性が高まるのである。

9、

 事故が発生した場合の保障対策も、とても十分とはいえまい。基金の運用などが考えられているが、基金というものは、その果実で運用するもので、巨大処理場であるだけに、大規模事故が発生した場合、必要な対応ができるとは考えられないが、いかがなものだろうか。

10、

 御嵩産廃処理場のように、大規模な自然改変をともなう開発に際しては、客観的、公正、信頼性あるアセスメントが必要と考える。県として、網羅的なアセスメントを実施すれば、それなりの説得力をもつと思うが、いかがなものであろうか。

11、

 現行産廃法制度の根幹は、排出者責任の原則だが、県内のどこかに処理場を求めなければならない県当局の御苦労は察するに余りある。
 しかし、恐るべきごみ問題の基本的原因は、大量生産、大量消費のツケであり、産業振興の名のもとで、産廃処理場の拡大、新設を進めるのは正しいこととは思えない。むしろ、大量生産、大量消費の時代は終わったことを明確に認識し、産業廃棄物の排出総量を削減する努力をするべきであろう。
 それでも産業廃棄物はゼロにはならない。そこで、排出された産業廃棄物は可能な限り減量化、リサイクル化しなくてはならない。それには技術も資金も必要だが、それは社会的コストと考えるべきで、みんなが痛みを分かち合うべきだろう。
 例えば、汚泥である。御嵩産廃処理場に捨てられるであろう産業廃棄物のうち、汚泥はもっとも多量になるであろうといわれている。脱水しただけの汚泥を処理場に廃棄していけば、おそらく処理場がいくつあっても足りなくなることは必至である。
 最近の技術では、汚泥を加熱処理して減量化することは可能であり、リサイクルしてブロックなどに利用することも実用化している。現に、岐阜市では汚泥を原料としたブロックを生産しており、当御嵩町でも同様の企業努力をつづけているタイル工場がある。
 現在の段階では、リサイクルのコストが嵩み、経済的にはリサイクルの試みは順調とはいえない。しかし、このようなリサイクルは絶対必要、不可欠である。
 当御嵩町では、現在、名鉄御嵩駅前の整備事業を進めているが、ロータリー広場、歩道のブロックには、初の試みとして、透水性があって自然にやさしい汚泥リサイクル製品を敷きつめることにしている。たしかに、コストは嵩む。だが、当御嵩町では近く下水道が供用開始となることもあり、また、広く産廃問題、廃棄物のリサイクルについて考えてもらう目的もあって、あえて実施に踏み切ることになったものである。小さな小さな試みではあるが、意義のある試みと考えている。
 廃棄物の減量化、リサイクルの努力をしないで、ただ廃棄物がでるから、廃棄物の処理ができないと産業が立ちゆかないから、といって、ひたすら処理場の拡大、新設に走るのは安易といわれても仕方があるまい。県内の歩道、広場のすべてに汚泥ブロックを敷くぐらいの気構えでないと、ごみ問題を真剣に考える端緒は生まれてこないのではないだろうか。
 ちなみに、工場汚泥は「有害な産廃」とされているが、下水汚泥は工場排水も含まれているのに「有害産廃」に指定されていない点も気にかかるところである。

12、

 一般廃棄物、産業廃棄物に限らず、廃棄物問題はこれまで文字通り「臭いものにはフタ」の状態にされてきたことに、問題の本質があるのではなかろうか。今日の御嵩プロブレムも、そのあたりに起因しているようである。
 ごみをどうするか、とくに一般に捨てている意識が稀薄で、もたれ合いの現象がおきている産業廃棄物の問題は、政治も経済も、行政も住民も、主たる排出源の都市も、処理場を強いられる農山村も、川の上流地域も、下流地域も、すべてがたがいに緊張感をもちながら、真剣に考えなければならない。


 以上、当面、思いあたる疑問、懸念を書き連ねたが、すべてを網羅したものではない。今後、必要に応じて追加していくつもりであることを申し添えておきたい。