平成7年9月の第3回定例一般質問において、産業廃棄物処理施設計画について、現在までの進行状況と今後の対応についての質問がありましたので、内容の一部をご紹介します。


一般廃棄物や産業廃棄物については、必ず反対運動があるといっても過言ではありません。
 平成4年5月3日には、みたけの森まつりの帰り客に対し「ご存知ですか」というチラシが配られ、町民のコンセンサス(意見の一致または合意)を問うものでありました。 平成4年12月8日御嵩町議会に住民から反対請願が提出されました。それに対し「趣旨採択」との通知がありました。
 その際、議会で、特別委員会を作り、そこで調査研究するからまかせていただきたいという回答を得ました。そして昨年の9月初めて「広報みたけ」によって行政側から知らされた訳であります。
 平成4年1月から昨年の9月までの間、うわさ話で飛び交った産廃計画がどこまで進んだのか、また、昨年からさらに1年が経過しております。この1年間でどれだけこの計画が進んでいるのか、1つの節目として考えていただいて説明ください。(中略)
 また、この産廃計画は許可権者が県であることは、知ったうえでご質問致します。
 現在の御嵩町民の不安と不満をたぐっていきますと、すべて産廃計画にたどりつくと思っても過言ではありません。
 行政の仕事といえど、許可権者か県であるというだけで、町という自治体の意志が全く伝わってきません。執行部においては「迷惑施設であると考える」といっておられましたが非常に意志が伝わらない言葉遊びをしておられると思うのは私だけではないと思います。
 具体的に町長はどのような意志をお持ちなのか、お伺いします。

(町長)
 産廃計画については、3〜4年が経過し複雑な経緯をたどってまいりました。
 私は、就任当初より「事実関係を知ることがまず必要」ということを言ってきましたが、概ね理解するに至りました。
 非常に難しい問題でございます。第一次東京ごみ戦争の時、都政を坦当しておりましてごみ問題の難しさを目のあたりに見てきました。
 ごみ問題は、ひとつの地域のごみの問題でもあり、一方においてはT産業のトイレだという言い方もあります。
 なぜ、御嵩に産廃処理施設をつくらねばいけないのか。心情的ではありますが、私が少年時代を過ごした50年ほど前の御嵩町は、亜炭産業が活況を呈し、町の経済も潤いました。しかしながら、50年を経過して御嵩町に残ったものは、無数の廃鉱の穴で、昨年も4軒の家が落盤の被害に遭いました。しかも今後このようなことが何十年も続くかも知れない。町政を預かる者にとって頭痛の種であります。
 これらは、負の遺産、マイナスの遺産であります。当時亜炭の採掘は、エネルギーの確保という、いわば「国策」として進められた側面もあります。
 50年後の今、産業廃棄物処理施設の建設も、いわば「国策」といった側面をもって進められようとしています。
 産廃を引き受けることによって、何らかの見返りがあることは事実であります。それによって当面、町の財政は潤うかも知れません。しかし、長期的に見た場合、50年前の私の記憶(亜炭景気にわいた頃)と重なってしまいます。
 私が、現在もっている懸念、疑問点は次のとおりであります。
 これは先日、岐阜県副知事、衛生環境部長等へ申し上げてきた内容と同じです。

懸念すること
1 今一番に懸念するところは、予定地と水源地との関係です。昨日も名古屋市弁護士会の8人と現地視察を行いました。県は、水の処理は万全で、県も監視をするので、大丈夫だと言っていますが、科学技術の世界において100パーセントということは、あり得ないと思います。絶対壊れないと言われていた高速道路や新幹線が崩壊した阪神大震災の例からもわかります。

水の安全性
2 地下水脈もどういった挙動をするのかまだまだ末解明であるし、下流には八百津町、可児市、名古屋市、愛知県の約500万人がこの水を利用しています。処理場が埋め立てを完了し閉鎖した後も半永久的に廃棄物は残ります。万一直下型の地震が起きた場合、どういった事態になるかは、わからないと言うのは専門家から聞いた話であります。

自然環境の保護
3 一部国定公園でもあり、自然環境、景観上の問題もあります。

ごみはどこから
4 どの範囲の廃葉物が持ち込まれるのかまだわかっていません。隣接県または、東海3県ともいわれているが、依然明確な回答がありません。

どの道を通るのか
5 廃棄物の搬入ルートが最終的に決定していません。

独占の問題
6 独占・寡占の問題で、ある一業者が広い地域で産業廃棄物の処理業を独占した場合、将来非常に不都合なことが起きてくるのではないかと言うことを指摘した人もいます。

地元支援策はなに?
7 地元支援策として県・事業者がどの程度の支援をするのか、特に県が支援する内容が不明確であるし、「地球環境村」構想も具体化されていません。
 以上から、私なりの懸念、疑問は解消できていないので、現段階ではこの計画に同意できません。
 町議会の特別委員会は、かつて、報告書で「基本的には反対であるが執行部が前向きであるならば」と言っているが、少なくとも今私は前向きではありません。
 2月はじめに町は今まで言っていた「不適当な施設」を「やむを得ない」に方針変更しました。
 方針変更後、開発許可へ向けての手続きが次から次へと雪崩うつように進みました。その最後の方は町長選挙の告示日まで続いています。
 一番問題にするところは、この問題をもっと町民に知らせる努力がなぜできなかったのか、残念です。
 賛成、反対は別として、まず事実関係を知ることが先決であります。私は知る努力を続けてきました。
 町民に対し、いわゆる「臭いものにフタ」という考え方は私は絶対に排します。
 これからは、町民の方に知っていただく努力をしていきたいと思っています。最近、自主的な勉強会が開かれているようですが、大変結構なことだと思います。
 事実関係を知る中で、そのような見返りがあれば認めてもいいという人もいるかも知れない。いや反対だという人もいるかも知れない。お互いに議論して検討していくのがスジだと思います。
 そのような意味から情報公開条例の制定には賛成で前向きであります。
 ガラス張りの町政、皆さんに見える町づくり、皆さんにわかる町づくりは、私の公約でもあります。
 これを守らない限り私の政治生命はないと思います。
 少なくとも、この問題に対し町民の大方の同意と合意が取れたとは認識していません。と答弁しました。

協定書問題
 また、18日に再会された一般質問では、業者と町とが結んだ協定書についての、質問があり、町長は協定書の取り扱いについて法律家と相談し検討していることを答えたほか、近いうちに県知事に対し、この計画の開発申請の手続きを当面、凍結されるよう公文書で提出すると答えました。
 さらに、住民の皆さんに情報を提供する情報公開条例や住民の皆さんの真意を確かめるための、住民投票条例の制定も検討していくと答えました。